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17年半の夢〜BON(加筆・修正:2018/02/05/)

・更新場所-時期11


元々は、ホームページをやりたかったわけではない
平松さんのお助け役をやりたくて、ラジオ番組に
詞をたくさん書いていたやつです。
詞はトータルで300書いた。残念ながら?平松さん
の助けになってはいないが、
今は一部は自分のオリジナル曲となっている。
まあ、当時、助けになっていないので、助けになるのは
ないかなということで、ふと、ネットに慣れてきた
2000年の夏、あることを思い付く。
この頃にはradikoもないし、エリアフリーもない。
だから、平松さんの近況を聞けるエリアは
bayfmが聞ける人だけだった。一部のファンしか
聞けないことに気づいてなんとかならんかな、
と思ったんですね。で、そういうことはオフィシャルでは
詳細にはかけないし、当時、ほかにやっている
ところがなかったので。やってみようかと。
それが、2000,8,3だったわけだ。(プレオープンは7.24)

(2018.2,5)

1、初期のホームページ(2000-2002)

普通、ホームページを作るとなると、本来であれば、
元々、コンピューターが好きとか得意とか、
そういった人が多いものだが、自分は違った。
もともと物書きを目指していたのて、95年に
買ったワープロで文字をうつ程度しか知らなかった
ホームページも本来やりたかった類いではなく、
広めるためにはこれが必要という情熱だけで
始めた。本屋にいって、ホームページが作れる本、
CDつきのを買って1日で公開した。
もちろん、本はA4の図解式の100ページぐらいのもので、
情報も最低限しかなく、書いてあることなぞったにすぎない。
だから、ホームページも非常に簡単な作りでしかなく、
ユーザーはなんのページかすら認知できなかったかも
しれない。最初の一年はペイントで書いたへたい、
イラストとラジオの文字おこしとイベントをひたすら
書くことしかしていなかった。勿論、
itに興味あったわけでもないので、なにも技術的に
勉強していなかった。それでは非常に困ることがやりはじめて、
3ヶ月でおきてしまったが。
それは管理人室に書いてあるので
興味のある方は読んでみて下さい。
そして、開設してわずか、一年半で平松さんが、
病気になり、ラジオ番組が終了してしまう。
2002.5月からやることがなくなりぽあーんとしていた。

2,オフ会(2002-)

心がぽあーんとしているときに、二種類のオフ会が
立ち上がる。ひとつは他のテーマでホームページを
作っている、ホームページ仲間。もうひとつは、
平松愛理がテーマで集まるホームページ来訪者仲間
のオフ会だ。私にはどちらも大切な出会いであった。
ホームページ管理人仲間のオフ会は数えるほど
しかいっていないが、ホームページのマナーや、
技術をそこで学んだ気がする。一度、世に出した、
ページを変更したり、階層わけしたり、なるほど
と思った。平松愛理関係のオフ会は平松愛理だけ
のカラオケを延々歌いまくってたり、平松愛理に
関連する場所をまわったり、平松愛理に関して、
なかながと討論したり、なかなか貴重な年として
記憶している。平松オフ会はなんとなくーでは
あるが、まだ存在していると思う。

3,魅力的なmidiサイトに出会って(2003-2005)

憧れは情熱を呼ぶ。この憧れが今の情熱を保っているといっていい。
とりこになったmidiサイトがあった。量も質もランクが違った。
ここで人生において間違った選択をしてしまう。
私はこの頃30歳手前、本来であれば、自分の将来の仕事の
スキルアップのために、勉強しなければならないところ、
趣味のホームページを充実させるため
にその為だけに勉強してしまう。具体的になにをやったかというと、
音符が読めなかったのでmidiを作るために
マンツーマン音楽教室にかよった。
授業料だけで50万払った。先生にも不思議がられた。
動機が変だと。いったい何の為に投資するのと。
その頃の自分は楽しいから、気づいていない。
勿論、二年通って、音符は読めるようになったし、
音とりもできる、作曲もできるようにはなったが、
あくまで、趣味であった。それで食べていける
訳ではない。たが、のめり込み度はすごかった。
はじめは、平松MIDI100曲は無謀だと思っていたが。
いつしか、通過点だと思うようになった。

4,ボカロに出会って(2006-)

2006年だったか、あるサイトを訪れる。そこで、
なにやら機械が唄っているというではないか。
そこで、千の風になって。のボカロを聞いた。
聞いた瞬間、これやってみたいとなった。
そして、メイコを買って使ってやってみた。
実はメイコ、初代メイコは気に入っている。
メイコを買ってほどなく、有名なミクがでる。
でもアニメすぎて、イメージが平松と合わないのだ。
いや、アーティストイメージ壊すので
やっちゃいけないと思った。
メイコだって好きでないひとがいる
だけど、アニメぽくないので採用した。
2008年までに、20曲ボカロにした。

5,広告に手をだして(2006ー)

手をだした2006年頃が一番ギラギラしてたな。
とかく有名なサイトになるんだと野心だらけの毎日。
まあ、そう思っているうちは所詮小者なんだけどね。
ラジオじおこし、イベント、フラッシュ、
MIDI、ボカロ。これだけやればあとは、有名になる
だけと考えてていた。だけど、2006年は平松さんは
活動が薄かったこともあり、アクセスが落ちたと
同時に、リフティング広告をかけた。
まあ、こりもせず今も続けているが、今は野心より
趣味にお金使えなくなってきているので、
ほどほどにやってる、憂さ晴らし。

6,第一次成熟期(2008)

この時期が、今思えば、一番バランスのよい状態の年であった。
会のメンバーの結束が強かったし、マンスリー
スロールーム(平松ライブ)の最後の月はメンバー共同で、
サプライズ企画も遂行し120名のお客様を動かした。
サイト的にも、そこそこ有名になったし、ファンサイトとして
一応、形をなしたのではなかろうか。
たた、いい時期は続かなかった。仕事運か、
2009年にがたっと落ちた。包んだ言い方すると
休職、悪くいえば解雇だった。

7,異常更新期(2009-2010)

結婚一年強、娘も生まれて、これからというときに
まさかの解雇。一度ファンサイトも閉鎖。
泣けてしまって、妻から続けていいよといわれて、1日で
再開。休職中の宿題として、一流のサイトにしなさい、
と言われていた為に、趣味の域では、不可能な
量の更新をすることに至った。毎日10時間以上、
作業を行った。これで稼げていたなら、天国のような生活だが、
この作業では一円にもなっていない。
月に300時間の作業。2ヶ月もあれば、
平松ボカロ20曲から143曲にするのは容易いことであった。
妻に平松サイトだけじゃ一流にならないんじゃない?といわれ?
平松さんと親交がありそうな、アーティストを選別し、
9アーティストファンサイトを
作成し、累計500曲のMIDIやボカロを作る。
さすがにmidiやボカロに飽きてきたころ、
脚本を作りたくなり、平松がもし
古畑任三郎にでたらどうなるだろう?
と思って脚本を創る。もちろん、
二次創作だけではなく完全オリジナル
も作っていった。元々、脚本家になりたかったので、
ここで、想いが爆発してしまった。
しかしながら、根本的にファンサイトで
書いているので、自称物書きとしてか
認識されなかったのは事実である。
一応、昔書いたものの、サスペンスものの資料とか
引っ張り出して、書いていた時期でもある。
脚本は2010年は累計6本やった。
また、それだけではなく、コンテンツを常に考え、
妻と1歳の娘で、ベビーカーに
乗せて散歩、散歩中にいろいろ考えて、
階層別のコンテンツ、ファンの度合にあった
コンテンツを日々考え更新していった。
しかしながら、2010年も終わる頃、
さすがに貯蓄がなくなってきて、
これでは家庭が崩壊してしまうと気持ちが一転し、
また、妻にも、そろそろ、働こうかと
いうことを言われ、とりあえず、就職活動をして、
安くても仕事をはじめる。
(何故、すぐ仕事へ復帰しなかったのかは
興味ある方は、旅のテーマという
シナリオを読んでください。
設定を少し変えて書いてあります)
まあ、人生としては休憩時期である。

8、仕事と趣味の間で(2011-2012)

10年やってきたファンサイトで
食べていけたらいいなと思いつつも、
仕事はベットメイクという、あまりやりたくない仕事。
2012年はIT派遣になったが、
あまり興味のない仕事、生活の為に続ける。
仕事でたまった、フラストレーションを
趣味で解消している時期であった。
MIDIやボカロは平松のオリジナルソングは
コンプリートしていたので、
提供曲や、企画曲まで手を出しはしめた。
脚本もどんどんやりはじめた。
平松オフ会も、イベントがあるたびに出てはきたが、
やはり7の時期でサイトを異常更新していた影響で、
ただのファンとしてはやりすぎている
と思われはじめ、嫉妬や妬みを買うようになる、
そして少し他のファン仲間との
ずれがおき始めた。いや、妬みかうほど、
自分はハッピーではない。
そう思いながらも仕事と趣味を行き来する時代であった。
まあそれでも、平松さんが8年ぶりに
オリジナルアルバムを出した年でもあった
ので、それなりに趣味は満喫していたかもしれない

9、外国語部(2013〜2015)

YOUTUBEが一般的になっている現在は
フィールドは常に世界規模である。
今は世界に垣根はない。それに気づかされたことがある。
私は平松愛理ファンになる前は洋楽を聴いていた。
PHIL COLLINSさんのファンである。
80年代、90年代よく聴いていた。
外国語学部にはいったのも、
彼の音楽の影響によるものが大きい。
当然、YOUTUBEでもPHIL COLLINSを検索することも多い。
1つ気づく。2013年。彼は2000年代
ディズニー・ターザンなどの主題歌を
歌っているが、当然英語だ。
英語のはずだったのが、その主題歌を本人が
別の言語でライブで歌っている動画をみたとき、
衝撃が走った。
他の言語でもやるんか。歌うんか。
そしたら、平松の曲を英語で歌わしてみようか。
自分が英歌詞にして、
英語ボカロで歌わす。2013年は英歌詞にしてみて、
2014年、2015年はボカロ化した。
本人もびっくりしたであろう。
だが、実は大変なことに気づく。
私が英歌詞した時点で、
もうそれは全くの別物になる。
平松が英歌詞したならまだわかるが。
ちょっと度を越えたようだ。
まあ、英歌詞21曲、英語ボカロ12曲。
このくらいでちょうどいいかもしれない。
まあ、そこから発展して、自分の曲を
英語ボカロしたんですけどね、2016.10に。

10.第二次成熟期(2016-2017)

平松ボカロは提供曲をコンプリートし、
今度はファンの9割はしらない、実際は
自分も知らなかった曲をやるようになる。
平松の会をやるうち、
アマチュアの時代の曲をシェアしていただいたり、
サイトユーザーから、シェア
していただいたりしたものを、
MIDI化ボカロ化している。平松ボカロは216曲
平松MIDIは207曲になった。
一方、脚本は21本になった。そろそろやることは
なくなるかなと思ってた矢先、8月にもうフラッシュ
使えなくなるよのフラッシュ事件が起こった。
フラッシュプレーヤで音楽を作っていた私は
平松サイト、岡村サイトをはじめ、すべてのグループ
サイトで音楽の記述を変える大工事をやった。
60時間を超える大工事の末、2017年秋になるころには
すべてのサイトで実装し、対応した。
また、すべてのサイト、15サイトに関して、レスポンシブデザイン
を適応した。簡単に言えば、スマホで表示しやすいサイトに
対応したのだ。これが年末にはすべて対応した。
その反動もあってか、またいくつかの理由もあるが、
安定した想いに変わっていき、メイン更新からマイナー更新
に切り替えた。つまり、二度めの熟成期にはいったようだ。

11、最近の状態(2018)

マイナー更新になったとはいえやることがないわけではない。

1、非FLASH化、非JAVA APPLET化

ホームページも時代が変わるにつれ変化していかねばならない。
10の時期で、音楽プレーヤーを非FLASH化したが、かつて
ホームページのTOPを飾った、FLASHをどうにかしないといけない。
とはいえ、13年前に作ったFLASHは形式が古く、変換がきかない。
だから、スマホでビデオにして撮って、平松動画化した。
JAVA APPLETはもっと困難を極める。最新のJAVAとセキュリティ
設定を下げても、警告で機械に怒られる形でやっと表示されるので
ほどんどのユーザーは見れていないはずで、これもなんとか自分の
ブラウザで表示させ平松動画化した。
またゲームも1つJAVA使用のものがあり、これも代わりのゲームにした。

2、スライド式静止画テスト

今、ホームページといえば、スライド式静止画が主流で、FLASHではない
なので、いつでもスライド式の静止画が作れるようにしておきたかったので
研究して実装した。まあ対応できるよ。という感じで。

3、東日本大震災支援

平松さんは、東日本大震災後、宮城県山元町で花サカスプロジェクトを
立ち上げ復興支援している。もう7年目になる。
平松さんが継続して活動している姿を見て、これは一度、山元町にいっとかな
あかんな。と思うようになり、山元町へ単身赴きまして、感じたままを
レポートしました。と同時に、夢ファーム応援動画を支援する立場となった。

4.SEO対策

今、グーグルは非常に変化している。昔はなにもしなくてもコンテンツがマッチ
していれば、そこそこの検索順位となったが、今はそうもいっていられない。
はっきりいう。非公式ファンサイトは軒並み順位を落としている。
一部を除いて(とはいってもその1部もかなりSEO対策している)ほどんど、
検索されなくなった。BON CRESCENTも例外ではない。
1月はじめからお金かけて対策しているからなんとか30位以内にとどまって
いるも、多分してないとキーワード’平松愛理’ではひっかからない。
’平松愛理 ファン’でなんとかひっかかるが。
いやいや、ばかみたいに更新していても、検索しても見つからないのならば、
やってても仕方ない。しかしながら、SEOもお金かかるので、
別の方法やGoogle アナリティクスを使っていろいろ研究をしないとと思う今日この頃
である。

(2018/02/05)